日本三大悪女

日本三大〇〇

三という数字は何か人に使わせたくなる力がある数字なのかもしれません。
例えば、何かを主張する時には「根拠は三つあった方がいい」と言いますね。
また、テレビでは「日本三大風景」とか「日本三大夜景」とか「日本三大〇〇」と銘打ったものが数多登場します。

日本史でも「日本三大〇〇」と銘打ったものが登場します。その中で有名なものが「日本三大悪女」です。

日本三大悪女とは

日本三大悪女とは、北条政子、日野富子、淀殿のことを指します。

北条政子は源頼朝の妻で、頼朝の死後は「尼将軍」として鎌倉幕府を支えました。
ただし、頼朝の浮気に激怒し、相手の家を破壊したことや、幕府の安定のために結果として自分の子を見殺しにしたことから悪女と呼ばれてしまいました。

また、日野富子は室町幕府8代将軍足利義政の妻です。
日野富子は応仁の乱の後、人々が苦しんでいる中で、金銭の貸し付けを行なって莫大な利益を得たことから悪女と呼ばれてしまいました。

淀殿は豊臣秀吉の側室で、豊臣秀頼の母です。
淀殿は結果的に豊臣秀次(秀吉の甥。秀頼が生まれるまでは秀吉の後継者でした)を自害に追い込んだり、豊臣家を滅亡させてしまったりしたために悪女と呼ばれてしまいました。

しかし、彼女たちは本当に悪女だったのでしょうか。

北条政子の知られざる一面

北条政子は「強い女性」だけではない一面もありました。

例えば、永福寺(頼朝が建立したお寺)跡の経塚の中から櫛が見つかっています。これは「別れの櫛」といって合戦で亡くなった女性を悼むためのものと考えられています。そしてこの櫛を納めさせたのが北条政子でした。

また、『吾妻鏡』(鎌倉時代の歴史書)には北条政子が夫と4人の子供に先立たれ、「ははのなげきはいえることがない」と記されています。ここからは愛する夫と子に先立たれた悲しみを常に抱えていたことが読み取れます。

少なくともここからは鎌倉幕府を背負って立ったような強さ、冷酷さは見られません。

日野富子の知られざる一面

実は日野富子が金銭を蓄えたのは幕府のためでもありました。

日野富子は大名に対して金銭を貸し付け、手に入れたお金を他の大名に対し帰国費用として与えたり、領地や官位の斡旋に使ったりすることで応仁の乱の収束を目指していました。

また、天皇家や貴族に対しても金銭援助を行うことで、朝廷との関係を良好に保っていました。

日野富子には政治家として優れた資質があったのは確かです。

淀殿の知られざる一面

淀殿は何よりも、自分の子への思いが強かっただけなのかもしれません。

淀殿は秀吉の晩年に秀頼を出産します。そのことも関係してか秀吉の死後、猛烈な教育ママになってしまいます。幼いうちから秀頼に難解な本を読ませていたと言われています。

ただ残念ながら秀頼に執着するあまり世の中が見えず、ついに豊臣家は滅んでしまいました。

おわりに

彼女たちは幕府や家を守ろうとする妻として、あるいは母としての姿が見えてきます。彼女たちの姿は決して「悪女」という言葉では片付けられないものであると感じさせますね。

参考文献・参考サイト

中江克己
『悪女・賢女の日本史』(日本文芸社、1994年)
歴史探偵
「北条政子」(2022年6月放送)
NHKEテレ
「知恵泉・選 日野富子」(2024年3月再放送)