旅レポ(伊勢編)

はじめに

先日、伊勢を旅してきました。今回は伊勢がテーマです。
今回訪問したのは次の3か所です(人物にはぼかし処理を施しています)。

①伊勢神宮(外宮)

外宮には衣食住及び産業の守り神である豊受大御神が祀られています。
外宮はおよそ1500年の歴史があります。

伊勢神宮の外宮

②伊勢神宮(内宮)

伊勢神宮内宮

内宮には天照大御神が祀られています。内宮はおよそ2000年の歴史があります。

③おかげ横丁、おはらい町

おはらい町とは宇治橋から五十鈴川沿いのおよそ800mの鳥居前町で、おかげ横丁とは江戸・明治期の街並みを再現したエリアです。ここには数多くの飲食店や土産物屋が立ち並んでいます。
写真を撮影した時間は朝9時だったので人通りはまばらでしたが、それから1時間後には観光客や参拝客でごった返していました。

おはらい町・おかげ横丁の通り

ここまでは観光地としての伊勢を紹介してきました。けれども実は伊勢は日本史とも密接に関係しています。日本史で伊勢神宮が登場した時代を3つ紹介します。

①飛鳥時代

壬申の乱の際、大海人皇子は伊勢神宮及び天照大御神に向かって必勝を祈願したと言われています。詳細は「神頼みの日本史」を参照してください。
ちなみに、伊勢神宮の式年遷宮は天武天皇が始めたと言われています。

②江戸時代

江戸時代、庶民の生活水準が向上したことで、旅が娯楽として広まります。その結果、人々は伊勢神宮をはじめとする遠方の神社に参詣するようになりました。
伊勢神宮への旅のスタイルとしては伊勢講(同じ信仰や目的を持つ者同士が講と呼ばれるサークルを作り、共同で資金を積み立て、交代あるいは集団で参詣する)やお蔭参り(数多くの庶民が熱狂的に伊勢神宮に参詣する)がありました。
なお、お伊勢参りは1830年にピークを迎え、当時の人口(約3000万人)に対して約500万人が伊勢神宮に参拝したと言われています。

③幕末

1867年7月、東海地方で伊勢神宮のお札が降ってきたことに対し、人々が狂喜し、「ええじゃないか」と乱舞しました。その後、10月に入ると「ええじゃないか」は京都や大坂にも広まりました。
なお、その後、大政奉還、戊辰戦争と大きな出来事が起きています。「ええじゃないか」は時代の変わり目だったと言えるのかもしれません。

おわりに

こうしてみると伊勢神宮は歴史上にもちらほら登場していますね。
神秘的で古くから人々を惹きつける場所。それが伊勢です。

参考文献・参考サイト

伊勢神宮
(https://www.isejingu.or.jp/)(参照:2023-8-12)
公益社団法人 伊勢市観光協会
「おはらい町について」 (https://ise-kanko.jp/)(参照:2023-8-12)
株式会社伊勢福
「伊勢市内宮前 おかげ横丁 」(https://okageyokocho.com/main/)(参照:2023-8-12)