旅レポ(富山県編)
はじめに
先日、富山県を訪問しました。
そこで、今回は富山県で訪れた場所を紹介します。
富山県は歴史的には北前船と薬商人が有名です(両者は密接に関係があります。琉球が中国から輸入した薬の原料が薩摩藩経由で北前船を通じ富山まで運ばれました。また、北前船で入手した昆布を薬商人が薩摩藩に提供し、琉球を通じて中国へ輸出されました)。
また、観光地では黒部ダムや立山が、花ではチューリップが、水産物ではホタルイカや白エビが有名です。
さらに、富山市内を走る市電を使えば、かつて「世界一綺麗なスタバ」と評されたスタバがある富山運河環水公園や隈研吾さんが設計したことで有名なガラス美術館に行くこともできます。
岩瀬について
そんな見どころの多い富山県の中で、今回私は岩瀬地区を訪れました。
岩瀬はかつて神通川に面しており、北前船で栄えた場所でした。
北前船とは江戸時代から明治時代にかけて日本海で活躍した買積船のことです。
大阪を出発した北前船は日本海沿岸に寄港し各地の物産を購入・販売を繰り返しながら、数ヶ月かけて蝦夷地(現在の北海道)に向かいました。ちなみに北陸地方では米が積み出され、蝦夷地から昆布やニシンを手に入れていました。
北前船の容積は500石(現在の150トンほど)〜1500石ほどと言われ、大きさは25メートル×12メートルほどと言われています。
なお、岩瀬では北前船を「バイ船」と呼ぶそうです(「売買で倍儲ける」ことが由来と言われています)。
岩瀬の中でも、今回見学した森家や馬場家は「岩瀬五大家」といって北前船で繁栄した家の一つでした(馬場家が最も大きな家で、森家は三番手だそうです。現在森家は国指定の重要文化財に、馬場家は国指定の有形文化財に指定されています)。
どちらも玄関から背後の船着場(かつては神通川が通っていました)に行くための「トオリニワ」があり、母屋の「オイ」(広間)には川の流れを表現するように畳が配置されていました。
ともに屋敷内の様子から、いかに北前船で繁栄したのかがよくわかりました。
おわりに
以前、「昆布ロード」で北前船について紹介しましたが、岩瀬を訪れたことで改めて北前船は富山に大きな影響を与えたのだと実感しました。
参考文献・参考サイト
- とやま観光ナビ
- 「北前船廻船問屋 森家」(https://www.info-toyama.com/attractions/11032)(参照:2022-11-06)
- 富山市
- 「馬場家」(https://www.city.toyama.toyama.jp/kyoikuiinkai/shogaigakushuka/babake.html)(参照:2022-11-06)
- 北前船日本遺産推進協議会
- 「北前船とは」(https://www.kitamae-bune.com/about/main/)(参照:2022-11-06)