出世の日本史

はじめに

今年の春クールでは「悪女(わる)」というドラマが放送されていました。このドラマは主人公の田中麻理鈴が憧れのT.Oさんに近づくために出世を目指す、という話でした。

しかし、昔の人も田中麻理鈴に負けず劣らず、出世を目指していました。
ということで、今回は出世にまつわるエピソードを3つ紹介します。

①藤原道長の大胆宣言

平安時代、藤原公任(藤原道長のはとこ)という和歌・漢詩・管弦に優れた人がいました。
同族の兼家(道長の父)は子供たちに対し、「どうしてあのように諸芸に通じているのか。お前たちは公任の影すら踏めないだろう」と嘆きます。
道隆、道兼(ともに道長の兄。道隆は「おすすめの歴史小説vol.3」で、道兼は「偉人の陰にあだ名ありvol.2」で紹介しました)は「その通り」と認めるなか、道長だけは「影を踏まないで顔を踏んづけてやる」と大胆な宣言をしました。
その後、道長は天皇と外戚関係を結び、急速に出世します。その結果、公任は道長に頭が上がらなくなりました。

②出世魚

平安時代後期、平清盛が安芸守(広島県を管轄する役人のこと)だった頃、清盛は船で熊野に向かっていました。
その道中、大きなスズキが船の中に飛び込んできます。清盛はスズキは出世魚(成長するにつれ名前が変わる魚のこと。スズキの場合はセイゴ、フッコ、スズキと名前が変わります)だから縁起が良いとしてこのスズキを食べました。
その後、清盛は武士として初めて太政大臣となるほどに出世しました。

③出世の階段

江戸時代、徳川家光が芝の増上寺を訪れた帰り道、愛宕山の頂上に梅の花が咲いているのを見つけました。
そこで、家光は愛宕山の前にある石段を馬で駆け上り、梅の花を折り取ってくるように家臣に命じます。しかし、石段は急勾配で、とても馬で乗って駆け上がれるものではありませんでした。
そのようななか、曲垣平九郎という馬の名人が名乗り出ます。曲垣は馬に乗ったまま石段を駆け上り、梅の花を折り取って戻ってきました。
その結果、曲垣は家光からお褒めの言葉と名刀を授けられました。

おわりに

今も昔も出世には強い意志とチャンスを掴むことが必要なのかもしれませんね。

参考文献・参考サイト

杉本圭三郎
『新版 平家物語(一) 全訳注』(講談社、2019年)
神田伯山監修
『講談えほん 曲垣平九郎 出世の階段』(講談社、2020年)
石川徹校注
『新潮日本古典集成 <新装版> 大鏡』(新潮社、2016年)