エピソードの裏側 vol.2
①鉄砲伝来
鉄砲伝来には「以後予算(1543)がかかる鉄砲伝来」という語呂合わせがありますが、『鉄炮記』という史料によると、1542年に鉄砲が伝わったと考えられています。
また、鉄砲は種子島だけではなく、複数のルートから伝わったとする説もあります。
さらに、鉄砲と言えば織田信長が使ったイメージが強いですが、大友氏や北条氏、さらには武田氏といった戦国大名も鉄砲を使用していました。
鉄砲がある意味時代を変えたことは確かですね。
②天下人 明智光秀?
かの有名な「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに 食うは徳川」の狂歌が詠まれた絵には、実は明智光秀もいます。
山崎の戦いで秀吉に敗れ、「三日天下」などと言われているものの、明智光秀も一時は天下人だったということでカウントされているのかもしれません。
ちなみに、このブログでは以前本能寺の変にまつわる話をしましたが、最近の研究では明智光秀は本能寺の現場にはいなかったとされる可能性も浮上しています。
明智光秀の立ち位置が変わりそうな話ですね。
③徳川光圀
徳川光圀といえば「黄門さま」としてお馴染みですね。
ですが、実はこの「黄門さま」は複数人いました(「黄門」というのは中納言、権中納言の中国風の呼び名であるため)。
また、「水戸黄門」のイメージからあたかも全国を旅しているように思われがちですが、実は徳川光圀の水戸藩は江戸在府を命じられていました。
そのため、実際の移動範囲は日光・鎌倉・金沢八景・房総ぐらいと考えられています。
水戸黄門の旅は、実際は日帰り旅行だったんですね。
おわりに
世の中に流布していることが全てではないと実感させられますね。