祈りの日本史

はじめに

「神様、仏様お願いします」という言葉があるように、私たちは人智の及ばないことを前にして祈りたくなる時がありますね。

昔の人もまた、何かの願いを叶えるため、あるいは極楽浄土に行くことを願って祈っていました。そんなエピソードを3つ紹介します。

①厩戸皇子(聖徳太子)

厩戸皇子が蘇我馬子と共に物部守屋と戦っていた時のこと、厩戸皇子は木彫りの小さな仏像を作ります。そして「この戦いに勝ったら寺を建てます」と言って戦勝祈願をしました。

その後、物部守屋との戦いに勝利した厩戸皇子は約束通り寺を建立しました。
そのお寺が四天王寺と言われています(ただし、実際には寺の建立時期は違っているようです…)。

②菅原孝標女

『更級日記』でお馴染みの彼女は、幼少期地方にいました。父親が国司(地方を治める役人)だったためです。
そんな彼女は物語が大好きで、中でも『源氏物語』を手に入れたいと切に願っていました。

そこで、彼女は等身大の仏像を作り、「都に戻って『源氏物語』が読みたい」と仏像に祈ります。
彼女の願いが届いたのか、のちに一家は都に戻り、彼女は叔母づてでで『源氏物語』を入手することができました。

③藤原道長

四人の娘を天皇に嫁がせ、栄華を極めた藤原道長でしたが、晩年の道長は病がちになり、自分が極楽浄土に行けるのかどうかをひどく気にしていました。
当時は政争によって理不尽な目に遭って亡くなった人物は怨霊になると考えられていたためです。

そこで、道長は1019年に出家すると、無量寿院(のちの法成寺)の造営に乗り出し、9体の阿弥陀如来像を作らせます。

そして、臨終の際には、9体の阿弥陀如来像それぞれから5本の糸を垂らし、計45本の糸を握り、「南無阿弥陀仏」と唱えながら亡くなったと言われました。

おわりに

信ずれば通ず、ということなのかもしれませんね。

参考文献・参考サイト

川村裕子 監修
『愛とゴシップの「平安女流日記」』(株式会社PHP研究所、2013年)
関幸彦
『藤原道長と紫式部 -「貴族道」と「女房」の平安王朝-』(朝日新聞出版、2023年,)