毒舌の日本史

はじめに

先日、落語家の三遊亭王楽師匠が七代目三遊亭円楽を襲名することが発表されました。

三遊亭王楽師匠は笑点メンバーの三遊亭好楽師匠の息子です。
五代目三遊亭圓楽師匠(春風亭昇太師匠の2代前に笑点の司会を務めていた方です)の最後の弟子で、六代目三遊亭円楽師匠は兄弟子にあたります。

毒舌な人々

ところで、先代の六代目三遊亭円楽師匠と言えば、「毒舌」キャラで親しまれていた方です。笑点では持ち前の毒舌っぷりを発揮して世相に鋭く切り込んだり、当時の司会だった桂歌丸師匠とやり合ったりして大いにお茶の間を賑わせました。

さて、歴史上にも毒舌な人たちは大勢いたようです。毒舌にまつわるエピソードを3つ紹介します。

①紫式部と藤原倫子

紫式部には藤原道長の愛人という噂がありました。
そんな中、重陽の節句(9月9日)に、藤原倫子(藤原道長の正妻)から紫式部宛に菊の花についた露を湿らせた綿が贈られてきます(当時はこれで顔や体を拭うとアンチエイジングになると言われていました)。さしづめ「これで老化を防ぎなさい」と言ったところでしょうか。まずは倫子が先制攻撃を仕掛けてきます。

それに対し、紫式部も負けていません。紫式部は「私は少しで結構です。あとは奥様に譲るので千年分も若返ってください」と言って返そうとします。しかし、結局返しそびれたようでした。

もっとも、彼女たちはまたいとこの関係です。重陽の節句をめぐるやりとりも、「正妻vs愛人」ではなく、単に軽口を叩き合っていただけなのかもしれません。

山名宗全

山名宗全がある大臣家に参上した時のこと、主人の大臣が古例を引いて話をします。

それに対して山名宗全は「『例』という文字を今後は『時』という文字に代えた方が良い」と言います。

時は室町時代、貴族が先例をもとに政治を行っていた時代はとうに過ぎ去り、武士による実力主義の時代となっていました。階級意識が強く、先例ばかりを見ていて今を見ようとしない貴族への強い皮肉が現れているようです。

徳川家康

徳川家康がかつての主だった今川家に呼び出されたことがありました。当主の今川氏真は家康に和歌の出来を自慢します。

そんな氏真に対し家康は「そんな暇があったなら少しでも軍事に力を入れたら良かったのに。そうしたら国は滅びなかったものを」と言いました。氏真はただ恥じ入るばかりでした。

ここまでストレートに毒を吐かれると、ぐうの音も出なくなりますね。

おわりに

毒舌はパンチが強い分、悪口にならないよう使い方に気をつけたいですね。

参考文献・参考サイト

山本利達
『新潮日本古典集成<新装版> 紫式部日記 紫式部集』(新潮社、2016年)
鈴木昭一訳
『塵塚物語』(教育社、1980年)
小川信
『山名宗全と細川勝元』(吉川弘文館、2013年)