自慢の日本史

はじめに

x(旧Twitter)、Facebook、Instagramなど今日では自分のことを気軽に発信できるツールが溢れています。
ただし、時には自慢とも受け取れるものもあるようです。

そこで今回は「自慢」がテーマです。

なぜ自慢をしたくなるのか?

心理学者のマズローによると、人間の欲求は5段階(生理的欲求、安全の欲求、愛と所属の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求)に分かれており、低次の欲求が満たされるとより高次の欲求を求めるようになるそうです。。
ちなみに、自慢をする場合は承認欲求が満たされていないと考えられています。

そのため、自慢して「誰かに認められる」「褒められる」ことで自尊感情(自分を価値ある人間だと思う感情)を満たし、承認欲求を満たそうとすると考えられます。

ところで、自慢したくなる心理は昔の人にも働いていたようです。ここでは自慢にまつわる話を3つ紹介します。

①清少納言と紫式部

清少納言が中宮定子に仕えていた頃のこと、ある雪の日に定子から「香炉峰の雪はいかほどか」と尋ねられます。
そこで、清少納言は格子を上げさせ、自ら御簾を持って外の雪景色を定子に見せます。中国の詩を踏まえた対応に定子は大変満足したこと清少納言は『枕草子』の中に書き残しました。

一方で紫式部は幼少期、兄よりも先に漢詩を覚え、スラスラ言えるようになります。そのため紫式部の父から「この子が男の子であったら…」と言われたことを『紫式部日記』の中に書き記しました。

どちらも似たところがあったからこそ、余計にお互いを意識したのかもしれません。

②頼朝に頼りとされた男

源頼朝が伊豆山神社に参拝した時のこと、小代行平という人物が同行します。
その際、小代は頼朝から「おまえのことを気の置けない家臣と思っている」と打ち明けられます。小代はこのことを誇りに思い、子孫たちに自慢しました。

もっとも、頼朝は御家人全員に「お前だけが頼りだ」という人物です。小代以外にも気の置けない家臣はいたかもしれません。

③秀吉、マウントを取る

豊臣秀吉は源頼朝の木造を見た時、「源氏の人間で為儀(祖父)・義朝(父)の徳があったから天下統一に手間取らなかった」と言います。
その上で、「それに対し自分は低い身分からのし上がって天下を取った。だから頼朝よりも自分の方が百倍優れている」と自慢をします。
さらに秀吉は「自分は頼朝と友達」と言って、頼朝の木造の親しげに叩いたそうです。

頼朝もまさかマウントを取られるとは思っていなかったことでしょう。

おわりに

自慢のしすぎにはくれぐれも要注意。

参考文献・参考サイト

渋谷昌三
『面白いほどよくわかる!他人の心理学』(西東社、2012年)
清水克行
『日本中世の招待』(朝日新書、2020年)
岡谷繁実著 北大路健 中澤恵子訳
『名将言行録 現代語訳』(講談社学術文庫、2013年)
宮崎莊平訳
『新版 紫式部日記 全訳注』(講談社、2023年)
清少納言著 萩谷朴訳
『新潮日本古典集成 枕草子 上』(新潮社、1977年)