ジョークの日本史

はじめに

ここ最近、日曜日の夕方5時半から放送されている「笑点」を見るのがマイブームです。

「笑点」の大喜利コーナーでは、噺家たちがお題に対しジョーク、風刺、自虐などを交えて回答していきます。

けれども、ジョークを飛ばすのは噺家に限ったことではありません。
今回はジョークを飛ばした歴史上の人物を3人紹介します。

①清少納言のジョーク

中宮定子に仕えていた頃のこと、藤原道隆(定子の父)が「世にも珍しい扇の骨を見つけた」と言って定子のもとにやって来ました。
定子がどういう扇の骨か尋ねても道隆は「誰も見たことがないものだ」と言うばかり。

そこで、清少納言は「それでは扇の骨ではなくクラゲの骨のようですね」と答えたところ、道隆は「一本やられた」と笑ったのだとか。

「誰も見たことがない」という点で「道隆のいう珍しい扇の骨」と「くらげの骨」をかけているあたり、清少納言の頭の回転の速さを感じさせますね。

②西郷隆盛のジョーク

西郷隆盛が東京にいた時のこと、炊飯や掃除は下僕に任せていたため、家には1人の婦人もいませんでした。

そこで彼の家を訪ねた客人が彼に妾を取ることを勧めたところ、彼は「自分には於鶴、於松という2人の妾がいる」と断った。

客が信じないため、西郷隆盛は下僕に命じて於鶴、於松を連れて来させたところ、その正体は猟犬でした。
西郷隆盛は猟犬の頭を撫で、「なかなかの美人であろう」と誇らしげだったとか。

こうしたユーモアのあるところが、西郷隆盛の人気の一つなのでしょう。

③吉田茂のジョーク

日本がGHQの占領下にあった頃、マッカーサーがイライラしてあちこち動き回っていたことがありました。
すると、その様子を見た吉田茂は突然噴き出してしまいます。当然、マッカーサーは「何がおかしい!」と怒り出します。
その様子を見た吉田茂は「失礼。閣下がライオンのように見えたので」と一言。この一言に対しさすがのマッカーサーも苦笑したのだとか。

また、吉田茂が記者から「元気の源は何か」と質問を受けたとき、彼は「強いてあげれば人を食っております」と答えました。

「元気の源(食べ物)」と「人を食う(人を小馬鹿にするという意味)」をかけています。座布団一枚。

おわりに

時にはユーモアも大事ですね。
ただし、ブラックジョークを飛ばしすぎて顰蹙を買うのは要注意です。

参考文献・参考サイト

真山知幸
『偉人名言迷言事典』(笠間書院、2021年)
新潮日本古典集成
『<新装版> 枕草子 上』(新潮社、2017年)