ドッキリの日本史
はじめに
「人間観察モニタリング」や「ドッキリグランプリ」のように、ここ最近ドッキリネタの番組が増えていますね。
ドッキリ番組のパターンを見てみると、お化けや風船、ビリビリ、ニセの取材番組やニセ企画、飛び出す系など様々あります。
ただし、ドッキリ自体は昔の人も行っていました。
今回はドッキリにまつわるエピソードを紹介します。
紫式部のドッキリ
女房(中宮に使える女性)は女性だけの職場です。そのため、ちょっとしたイタズラや意地悪は日常茶飯事でした。
あるとき、彰子に仕える女房や紫式部は左京の馬(かつて弘徽殿の女御に仕えていた年配の女性)にドッキリを仕掛けようとします。
そこで、紫式部たちは弘徽殿の女御のウソの手紙を作り、蓬莱山の絵が描かれた扇と思い切りそり返った櫛(どっちも歳をとった左京の馬をディスるものです)をつけて左京の馬のもとに届けます。
弘徽殿の女御から手紙が届いたと気合が入る左京の馬を見て、紫式部たちは「本気にしちゃって」と心の中でほくそ笑んでいました。女の園は恐ろしや。
豊臣秀吉のドッキリ
豊臣秀吉は大きな猿を飼っていました。秀吉は猿を諸大名が登城する際に通るところに繋いでおき、猿が歯を剥き出しにしながら大名に飛びかかり、大名が狼狽する様を陰からこっそり見ていました。
ちなみに伊達政宗はこのことを知り、密かに猿を借り出して調教します。その後、伊達政宗が登城した際、その猿は飛びかかろうとしたものの、伊達政宗に睨まれて萎縮してしまいました。
なお秀吉は伊達政宗の行動も把握しており、笑っていたとか。
西郷従道のドッキリ
明治天皇が川村純義(明治海軍創設者の一人)邸に臨幸した時のこと、席上隣で後藤象二郎が座って話をしていました。
ところが、興奮のあまり、後藤象二郎は席を立って演説し始めます。その隙に西郷従道(明治天皇に同行していました)はこっそり後藤象二郎の椅子をよそへ移してしまいます。
そのため、後藤象二郎が演説を終えて座ろうとした時、彼はあわや尻餅をつきそうになりました。
また、ある閣議の時、西郷従道は後藤象二郎の手を取って総理大臣の席に座らせ、自身は少し離れたところで眺めていました。そして後藤象二郎に「総理大臣にはちと貫目が足りませんなー」と言い放ちました。西郷従道、お茶目すぎる。
おわりに
昔の人にもイタズラ心はあったようです。
参考文献・参考サイト
- 川村裕子監修
- 『愛とゴシップの「平安女流日記」』(PHP文庫、2013年)
- 岡谷繁実 北小路健 中澤恵子訳
- 『名将言行録』(講談社、2013年)
- 近世名将言行録刊行会編
- 『幕末・明治名将言行録』(原書房、2015年)