飛鳥時代

はじめに

職業柄、日本史の教科書を見てみると、研究や調査が進んだ結果、現在の歴史の教科書では昔の教科書と比べ、内容が変わっていることも多いです。
そこで今回は飛鳥時代がテーマです。

飛鳥時代の通説

飛鳥時代といえば、かつては次のように学んだ人も多いかもしれません。

  1. 聖徳太子が冠位十二階や十七条の憲法を制定した。
  2. 645年に中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我蝦夷・入鹿親子を滅ぼした出来事は大化の改新である。
  3. 「天皇」号や「日本」号は推古天皇の時代に成立した。

ところが、そんな飛鳥時代に変化が生じています。

①聖徳太子は存在しない?

実は「聖徳太子」なる人物が実在していたわけではありません。「聖徳太子」とは、厩戸王(うまやとおう。推古天皇の甥)が亡くなった後の呼び名です。つまり、「聖徳太子」という人物が飛鳥時代に生きていたわけではありません。

加えて、厩戸王はあくまでも推古天皇に仕えた役人の一人に過ぎません。冠位十二階や十七条の憲法は推古天皇や蘇我馬子とともに作り上げた制度です。

そのため、最近の教科書では、冠位十二階や十七条の憲法は聖徳太子一人の功績というよりも、推古天皇の時代の政策として扱われていることが多いです。

②645年の出来事は大化の改新ではない

中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我蝦夷・入鹿を倒した出来事は「乙巳の変」です。
大化の改新とは、乙巳の変の後に即位した孝徳天皇のもとで、中大兄皇子らが中心となって行った政治改革のことを指します。

そのため、最近の教科書では、政治改革が大化の改新である、という記述が増えています。

③天皇号・日本号は天武天皇から?

最近では「天皇」号や「日本」号が使われ出した時期は天武天皇の時代とする説が有力です。さらには、天智天皇の時代に成立したと考える説もあるようです。

もっとも、推古天皇の時代に成立した、とする説もまだまだ健在です。どの時期に「天皇」号や「日本」号が成立したか断定できないのが実情です。

おわりに

このように、歴史は不変のものではなく、調査や研究によってちょっとずつ変化するものなのです。

参考文献・参考サイト

歴史ミステリー研究会
『昔の教科書とはこれだけ変わった! 日本史の新常識』(彩図社、2020年)
大津透 桜井英治 藤井譲治 吉田裕 李成市編
『岩波講座日本歴史 第2巻(古代 2)』(岩波文庫、2014年)
篠川賢
『日本古代の歴史<2> 飛鳥と古代国家』(吉川弘文館、2013年)
井上光貞
『日本の歴史<3> 飛鳥の朝廷』(講談社、2004年)