教科書に載らない豊臣秀吉
はじめに
今年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」にも、主人公の兄として豊臣秀吉が登場しますね。
戦国の大河ドラマといえばほぼ確実に登場する、豊臣秀吉の実態を紹介します。
豊臣秀吉のイメージ
豊臣秀吉といえば、人懐こく、人たらしのようなイメージが強いでしょう。
しかし、秀吉にはあまり知られていない側面があります。今回は3つ紹介します。
①実は残虐
実は秀吉には残虐な一面がありました。
例えば、秀吉は織田信長が命じていなかったにもかかわらず、人質を殺害したことがありました。
また、彼の得意な戦法は兵糧攻めでした。1580年に秀吉は三木城(信長を裏切った別所長治が籠る城)に対して1年半にわたる兵糧攻めを実施し、数千人の死者を出しました。
さらに、翌年にも鳥取城(吉川経家が3000人の兵とともに籠っていた城)に兵糧攻めを実施します。この時、秀吉は食料を高値で買い占め、城の周りを柵で囲み、川に杭を打つなど徹底していました。
秀吉はのちに千利休や豊臣秀次を切腹させますが、残虐な一面はずっと前からあったようです(「豊臣兄弟!」の第1話ですでにその片鱗が垣間見えていた気もします…)。
②親馬鹿
秀吉は晩年に生まれた豊臣秀頼をひどく溺愛していました。
秀頼に対し、手紙で「そちらに行って口を吸いたい」などと書いています。
また、秀頼の言うことを聞かない乳母がいた時には、淀殿に対し手紙で捕まえて縄で縛っておくように指示を出していました。
怖い。ただただ怖い。
③計算高い
秀吉が信長に支えていた頃のこと、度々小姓からみかんの皮をもらっていました。
ある時、秀吉が肩衣を見せ、「これはみかんの皮で仕立てたものだ」と言いました。種を明かせば、秀吉はみかんの皮を集めて薬屋に売り(みかんの皮は陳皮と言う漢方になります)、その金で肩衣を購入しました。
また、信長が出陣に際して竹を必要とすると、秀吉が調達役を申し出ます。
秀吉は戦に必要な分以上の竹を百姓にやったり,売ったりして稼いだお金を出陣の費用としました。
これらのエピソードからは秀吉がかなり頭の回る人物だと言うのがわかりますね。出世したのも納得です。
おわりに
「豊臣兄弟!」ではどのような秀吉の姿が見られるのか、注目ですね。
参考文献・参考サイト
- 丸茂潤吉
- 『戦国武将の大誤解』(彩図社、2010年)
- 吉本健二
- 『手紙から読み解く戦国武将の意外な真実』(学習研究社、2006年)
