豊臣秀長
はじめに
今年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」がいよいよ放送されますね。
ここ最近の大河ドラマは戦国時代以外が舞台だったので、久々の戦国時代という印象を受けます。
そこで今回は主人公の豊臣秀長について紹介します。
豊臣秀長に関わる出来事
- 1540年 豊臣秀長誕生
- 時期不明 織田信長に仕え始める
- 1577年 毛利平定に向かう
- 1581年 但馬支配に着手
- 1582年 本能寺の変、山崎の戦い
- 1583年 賤ヶ岳の戦い
- 1584年 小牧・長久手の戦い
- 1585年 紀州・四国平定
- 1587年 九州平定
- 1590年 豊臣秀長死去
豊臣秀吉の弟として、秀吉を支えた生涯がここから垣間見得ますね。
①豊臣政権のNo.2
豊臣秀長は「秀吉の弟」として、また「豊臣政権のNo.2」として秀吉を支えました。
例えば、秀吉が毛利攻めの過程で播磨や但馬(ともに現在の兵庫県の一部)を平定すると、秀長が播磨や但馬の領国経営に携わり、秀吉の支配の基礎固めをしました(とはいえ、全てを秀長に任されたわけではなかったようです)。
また、秀長は山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小牧。長久手の戦いなど秀吉が関わる合戦に参戦し、軍事面でも秀吉を支えました。
②優秀なマネージャー
豊臣秀長には優れたマネージャーとしての側面もありました。
秀長は家臣を通じて領国の経営を行っていましたが、中には降伏した人物を家臣に取り立て、領国経営を行うこともありました。
ちなみに、秀長の家臣には千利休・古田織部と並んで茶人として知られる小堀遠州の父親がいます(遠州自身も秀長の小姓として仕えていました)。
③有力な大名と渡り合う
豊臣秀長は豊臣家の「名代」として多くの戦国大名と関わっていました。
例えば、小牧・長久手の戦いでは、豊臣家の名代として織田信雄との交渉に臨みました。
また、長宗我部氏や島津氏と交渉し、四国平定や九州平定につなげてきました(ただし、後者に関しては石田三成らの動きが目立ち、派閥抗争の様相を呈していました)。
さらには徳川家康や小早川隆景、毛利輝元、吉川広家、大友宗麟、伊達政宗といった名だたる武将たちとも交流がありました。
おわりに
豊臣秀長がいなかったら秀吉はもしかしたら天下統一をできていなかったのかもしれません。また、秀長を失ったことがその後の豊臣家にとって不幸でした。
豊臣秀長とはそんな人物なのかもしれません。
参考文献・参考サイト
- 柴裕之編
- 『シリーズ・織豊大名の研究14 豊臣秀長』(戎光祥出版、2024年)
