律令制
はじめに
「日本人に対するイメージ」で検索をかけていると、「礼儀正しい」「仕事に熱心」「時間に正確」といった言葉が並びます。
とりわけ、「仕事に熱心」や「時間に正確」という部分は日本が奈良時代、律令制の頃からそうだったかのようなイメージを持つ方もいるでしょう。
そこで今回は律令制がテーマです。
律令制とは
律令とは一言で言えばさまざまなルールをまとめたものです。「律」とは刑罰に関するルール、「令」とは税や政治に関するルールに相当します。なお、日本は唐の律令を模範に、日本の実情も踏まえ、701年に大宝律令を制定しました。
日本で律令制が導入されて以後、役人たちは律令に則って規則正しく職務を行なったかのように思えますが、実際はそうでもないようです。
①無断欠勤は当たり前
律令(特に令)では一定の出勤日数がないと昇進の対象にはならないことが規定されています。にもかかわらず、無断欠席するものが大勢いました(中には職務を拒否して意図的にサボタージュする者もいたようです)。
また、朝賀の儀(年始に行われる儀式)や叙位(役人に位が与えられること)など役人には出席が求められる儀式があったにもかかわらず、それすらも欠席する者が後を断ちませんでした(なお、朝賀の儀では儀式終了後に行われる宴会で臨時ボーナスがもらえるため、宴会にだけ出席する者がいたようです)。
②職務放棄もザラ
役人が職務に勤しんでいたかと思いきや、そうでもありませんでした。
例えば勅使(天皇からの使者)が任務を果たさず天皇の命令が伝わらないこともあれば、侍従や内舎人など本来天皇のそばにいなければいけない人々が職務をほっぽり出して打毬(ポロ)に興ずる、なんてこともありました。
③ゆるゆるな政府の対応
上記のような職務怠慢に対する政府の対応も甘々でした。
無断欠勤や職務放棄に対して、当初は目を瞑っていました。
それでもこのままではいけないと考えたのか、厳しい処罰を下そうとします。
けれども、その度に式部省(役人の人事を司る役所)や公卿(上級貴族)が反対し、最終的には寛大な措置になることがほとんどでした。
おわりに
こうしてみると、今日本人に持たれている「仕事熱心」とか「時間に正確」といったイメージは後世に作られたものなのだ、ということがわかりますね。
参考文献・参考サイト
- 虎尾達也
- 『古代日本の官僚』(中央公論社、2021年)