坂本龍馬
はじめに
「幕末のヒーロー」と言えば、真っ先に思い浮かぶのが坂本龍馬ですね。
この人物は「好きな歴史上の人物」でも上位に上がる人物です。
しかし、「坂本龍馬」の名前が教科書から消えようとしていたのは知っているでしょうか。
坂本龍馬について知られていること
「坂本龍馬」と聞くと、以下のことがよく知られています。
- 土佐藩を脱藩し藩にとらわれず活動した
- 亀山社中(のちの海援隊)を設立
- 薩長同盟の立役者
- 船中八策を考案(これが大政奉還につながる)
それでは、なぜ坂本龍馬の名前が教科書から消えようとしていたのか。
坂本龍馬の功績の実態を検証していきます。
①坂本龍馬は自由だったのか
坂本龍馬は自由奔放に活動していたかのようなイメージがありますが、その背後には薩摩藩がついていました。
実際のところ、坂本龍馬は薩摩藩の指揮のもと動いていたに過ぎませんでした。
②薩長同盟に坂本龍馬はいなかった?
薩長同盟は1月21日に成立したと言われています。
しかし、実際には18日に同盟が締結していたのではないかと考えられています。木戸孝允が21日段階で大坂へ出立しているからです。
ただし、1月18日に坂本龍馬は京都にいませんでした。ちょうどこの頃に大坂に着いたばかりだったからです。
こうなると、坂本龍馬が直接同盟に関わったとは言えなくなります。
けれども、坂本龍馬は薩摩(西郷・小松)・長州(木戸)双方に対して同盟の内容を確認し、相違ない旨を裏書に認めています。
また、坂本龍馬が寺田屋で奇襲を受けた時、薩長同盟が成立したという書状を残しています。これはわざと残したのではないかとする見方もあるようです。
坂本龍馬は同盟の締結そのものよりも、同盟をより強固なものにすることに一役買ったと言えるでしょう。
③幻の船中八策
実は船中八策は原本も写本も存在しません。そのため、現在では縁者が記したものが一人歩きして、あたかも竜馬が考えたかのように伝えられたとも、後世の創作とも言われています。
おわりに
坂本龍馬はある意味で「歴史を動かした人物」であることに違いありません。
参考文献・参考サイト
- 青山忠正
- 『日本近世の歴史<6>明治維新』(吉川弘文館、2012年)
- 本郷和人
- 『ざんねんな日本史』(宝島社、2021年)
- 歴史探偵
- 「坂本龍馬」(2023年4月19日放送)