おもてなしの日本史
はじめに
パリオリンピックが始まりましたね。東京オリンピックからもう3年が経過したのだと時の流れの早さ実感させられます。
ところで、前回大会の東京オリンピックを招待する際、滝川クリステルさんが用いたのが「おもてなし」というキーワードでした。この言葉は2013年の流行語大賞にも選ばれました。
実は「おもてなし」自体は日本で古くから行われており、「おもてなし」によって出世した人も数多くいました。
今回は「おもてなし」によって出世をつかんだ人物を3人紹介します。
①藤原冬嗣のおもてなし
藤原冬嗣は平安時代初期の貴族で、藤原道長や紫式部の先祖にあたります。
冬嗣は嵯峨天皇(当時の天皇)がお酒好きであることを知り、お酒を伴う「おもてなし」をしました。
なお、お屠蘇や熱燗はこの頃に取り入れられたと言われています。
この結果、嵯峨天皇の心を掴んだ冬嗣は出世しました。
子孫の藤原道長が栄華を極めたのも、冬嗣のおもてなしのおかげと言えるでしょう。
②羽柴秀吉のおもてなし
秀吉が織田信長の草履取りになったある雪の日、信長は履いた草履が妙に温かいことに気づきます。
信長は秀吉が草履を尻に敷いていたと思い、秀吉を杖で殴ります。
しかし、秀吉は「背中に入れて温めていた」と主張します。実際に秀吉の背中には鼻緒の跡が残っていました。
信長は秀吉の心遣いを理解し、こののち出世させていきました。
③石田三成のおもてなし
秀吉は狩りの途中、寺に立ち寄り、茶を所望しました。そこで、寺にいた少年が大きめの器にぬるめに入れたお茶を持ってきます。秀吉はお茶を飲み干し、おかわりを求めました。
すると、少年は一杯目よりもやや小さい器に、やや熱いお茶を入れて持ってきました。
秀吉はこれも飲み干すと、さらにおかわりを要求しました。
すると少年は高級な小さな器に熱いお茶を入れて持ってきました。
「相手の状況に応じてお茶を味わってもらう」という少年の気遣いに感激した秀吉はその少年を取り立てます。
その少年こそが石田三成でした。
おわりに
「おもてなし」で大事なのは「人を思う心」ですね。ここをうまく扱うと、出世につながるのかもしれません。
参考文献・参考サイト
- 栗下直也
- 『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社、2019年)
- 岡谷繁実著、北大路健 中澤恵子訳
- 『名将言行録』(講談社、2013年)