偉人の陰にあだ名あり vol.5

はじめに

今回は「あだ名シリーズ」第5弾ということで、「将軍」のあだ名を持つ人物を3人紹介します。

①源義仲のあだ名

1人目は源義仲です。義仲は源氏一族で木曽を拠点とし、1180年、打倒平氏を目指し立ち上がった人物です。倶利伽羅峠の戦いで平氏軍と戦った際、牛の角に松明をつけて平氏軍を襲撃したエピソードが有名です。

そんな義仲には「朝日将軍」というあだ名がありました。京から平氏を追い払った勢いを感じさせるあだ名ですね。

なお、源義仲は後に、源頼朝が派遣した源義経・範頼の軍勢に敗れました。『平家物語』には義仲の最期にまつわる話が収録されています。

②酒井忠清のあだ名

2人目は酒井忠清です。この人物は江戸幕府4代将軍、徳川家綱の頃に大老を務めた人物です。
当時、松平信綱など家綱を支えていた人物が亡くなったため、忠清が江戸幕府の主導権を握っていました。

そんな忠清には、「下馬将軍」というあだ名がありました。彼の屋敷は江戸城大手門前の下馬札前という場所にありました。当時、下馬札よりも先へ行くには馬を降りなければならなかったため、屋敷のある場所と権勢から、人々は忠清を「下馬将軍」と呼びました。

なお、忠清は子のいない家綱の後継ぎをめぐり別の人物を次期将軍に推薦したことで、5代将軍となった徳川綱吉に大老を罷免されました。

③徳川吉宗のあだ名

3人目は徳川吉宗です。御三家の紀伊徳川家出身で、江戸幕府8代将軍となった人物です。

そんな吉宗のあだ名といえば「米公方」が有名です。しかし、彼には「八木将軍」というもう一つのあだ名がありました。

ちなみに、「八木」という文字を合体させると、「米」という字になります。米による政治改革を行なった吉宗らしいあだ名ですね。

おわりに

「将軍」にまつわるあだ名は、その人物の勢いや重視していたことを表すものが多いですね。