摂関政治

はじめに

今年の大河ドラマ「光る君へ」では政治の様子も物語中に登場します。
そこで今回は摂関政治がテーマです。

摂関政治に対する言説

「摂関政治」と言うと、よく言われることは次の3つです。

  1. 摂関政治きは摂政や関白が主導権を握り、天皇の影響力は及ばなかった。
  2. 藤原道長は「御堂関白」というあだ名の通り、関白になった。
  3. 平安時代の貴族は和歌などを詠んでのんびりしていた。

実はこの言説、どれも間違いです。

①政治の最終決定権は天皇

摂関政治が行われた時期も、政治の最終決定権は天皇にありました。

主な政務は公卿(上級官僚)が審議し、天皇が決裁した上で、決定事項が各地へ伝えられました。
なお、外交や人事、年中行事など重要な議題については、陣定と呼ばれる会議が開かれ、最終的にどうするかを天皇が決定しました。

②道長は関白になっていない

実は、藤原道長は関白にはなっていません。

なぜなら、摂政や関白になってしまうと、太政官(政治を行う部署)の審議から排除されてしまうためです。
実際に「光る君へ」でも、兼家は一条天皇の摂政になってからは太政官の審議に参加していませんでした。

道長は太政官の審議や人事にも影響力を残しておきたいと考えていました。
そのため、あえて関白にはなりませんでした。

③貴族は結構忙しい

平安時代の政治は、さまざまな政務処理が必要で、案外忙しいものでした。

例えば、弁官と呼ばれる部署は、諸国と太政官の橋渡し役になるところで、最も多忙な部署と言われています。
また、蔵人頭という役職(天皇の側近。機密文書を扱うこともあります)は天皇と政権担当者をつなぐ要職だったため、こちらも激務でした。

加えて、平安時代は政治や儀式を従来通りに行うことが重視されていました。
そのため、優秀な人間に仕事が集中していきました。

おわりに

ただ和歌を詠んでいる、だけじゃない。

参考文献・参考サイト

大津透
『日本の歴史<06> 道長と宮廷社会』(講談社、2009年)
大津透
『日本史リブレット人 019 藤原道長-摂関期の政治と文化-』(山川出版社、2022年)