おすすめの歴史小説 vol.19
はじめに
今回は堺屋太一さんの『豊臣秀長 -ある補佐役の生涯-』を紹介します。
この物語は豊臣秀吉の弟の豊臣秀長の生涯を描いた作品です。
なお、豊臣秀長は2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」のモデルで、仲野太賀さんが演じることが先日発表されました。
物語に関連する出来事
『豊臣秀長』に関連する出来事は次のとおりです。
- 1540年 豊臣秀長誕生
- 1560年 桶狭間の戦い
- 1562年 秀長、秀吉の家来として清洲城下に移り住む
- 1567年 美濃攻略
- 1568年 足利義昭が室町幕府15代将軍に
- 1570年 姉川の戦い。石山合戦開始
- 1573年 武田信玄死去。足利義昭、京から追放。浅井・朝倉氏滅亡
- 1575年 長篠の戦い
- 1580年 石山合戦終結
- 1582年 本能寺の変。山崎の戦い。清洲会議
- 1583年 賤ヶ岳の戦い
豊臣秀長が優れていた能力は次の3つです。
①マネジメント能力
秀長は人との関係をとりもち、まとめ上げる能力に長けていました。
秀吉の家臣が増えたときは古参の家臣と新参の家臣の対応を考慮し、秀吉が新たな領地を得たときには征服地の領民の様子をつぶさにみて接することを欠かしませんでした。
この結果、組織内の融和が保たれました。
②悟る力
秀長は状況を読み、的確に行動する能力に優れていました。
例えば、秀吉が京都奉行になった時、公家の対応に苦慮する秀吉に対して、あえて秀吉と話すときに尾張訛りを通すことで、暗に「今までのやり方を通せ」と秀吉に助言しました。
また、北近江を領地として与えられたときは、あえて温厚に領民に接することで、領民に「秀吉は信長家臣だが怖くない」というイメージを与え、秀吉の統治を助けました。
こうした秀長の行動はしばしば秀吉を助けました。
③補佐役に徹する力
秀長は自分の「分」をわきまえ、終始補佐役に徹しました。
例えば、秀吉が信長に仕えていた頃、秀吉が窮地に陥っても、「家来の家来の自分が上級の家臣に相談することはおこがましい」と考え、自分のできる最善のことに取り組んでいました。
その後、信長がいなくなり、秀吉が台頭するときも、「秀吉の第一の補佐役」として終始行動し、武功を上げるといったような秀吉よりも目立つまねはしませんでした。
その結果、秀吉の天下統一につながりました。
おわりに
秀長なくして豊臣家の繁栄はあり得ませんでした。
秀長を失ったことが豊臣家の最大の不幸であり、滅亡につながったのではないか、と考えさせられるような一冊です。