幕末
はじめに
「大奥2」が10月から放送されます。今回は田沼政治の頃から幕末までが描かれるようです。
そこで、今回は幕末がテーマです。
幕末の通説
おそらく幕末は次のように学んできた人も多いかと思います。
- 1867年に徳川慶喜が大政奉還を実施し、江戸幕府が滅亡した。
- 鳥羽・伏見の戦いで新政府軍が勝利し、以後戦いを有利に進めた。
- 勝海舟と西郷隆盛の間で行われた交渉により、江戸総攻撃は中止された。
けれども、これらは薩長率いる新政府側から見た出来事です。そこで今回は幕府側の立場からこれらの出来事を見ていきたいと思います。
①大政奉還の狙い
徳川慶喜は大政奉還で政権を投げ出したわけではありません。徳川慶喜は先手を打って幕府をなくすことで、薩長の「討幕」という名目を無くしました。
また、今政権を返上してもいきなり朝廷に政治が行えるはずはなく、徳川の力が必要になるのは明らかです。
徳川慶喜はそこまで見越した上で、「名を捨て実を取る」形で大政奉還を行ったのでした。
②鳥羽・伏見の戦いの勝敗
実は鳥羽・伏見の戦いは旧幕府軍にも勝機がありました。
というのも、数の上では旧幕府軍の方が優っていたことに加え、フランス式の軍制を導入していたからです。
さらに、徳川慶喜はこの時、守りに強い大坂城にいたため、長期戦に持ち込めば京都進軍も可能でした。
ただし、旧幕府軍はあくまで朝廷に意見を言うために京都へ進軍したため、戦闘の準備は十分ではありませんでした(実際、旧幕府軍の中には銃に弾を込めていない者もいたようです)。
そこが勝負の分かれ目になったと考えられます。
③江戸城無血開城に尽力した人々
実は勝海舟が西郷隆盛と交渉した陰で、多くの人々が奔走していました。
例えば、山岡鉄舟は西郷隆盛と事前交渉に当たっていました。山岡の働きにより、西郷は条件付き(1つだけ山岡の交渉で変更)で江戸総攻撃の中止を提案しました。
また、13代将軍徳川家定のもとに嫁いでいた篤姫も西郷に対し徳川家助命の嘆願書を出していました。
江戸総攻撃の中止は「チーム江戸幕府」で勝ち取ったと言えるでしょう。
おわりに
幕府側の立場から見てみると、別の歴史が見えてきますね。
参考文献・参考サイト
- 歴史ミステリー研究会
- 『昔の教科書とはこれだけ変わった 日本史の新常識』(彩図社、2020年)
- 歴史探偵
- 「謎の将軍 徳川慶喜」(2021年6月放送)