本能寺の変

はじめに

大河ドラマ「どうする家康」はもうすぐ本能寺の変に突入しそうですね。本能寺の変は「もしこの出来事がなければ歴史が変わっていたかもしれない」と思う出来事の一つかもしれません。
今回は本能寺の変がテーマです。

本能寺の変について

畿内周辺を平定した織田信長が次に目をつけたのが中国地方の毛利氏でした。当時、羽柴秀吉が清水宗治の守る高松城を攻めていました。ところが、毛利輝元が清水の援軍に向かいます。
そこで、信長は秀吉の援軍に向かうため、中国地方へ向かいます。途中、本能寺に宿泊しました。

このとき、明智光秀も中国攻めへの出陣を命じられ、丹波亀山城に入っていました。そして、6月1日に出陣します。
しかし、明智光秀は老ノ坂で謀反の意思を家臣に示し、本能寺に向かいました。追い詰められた信長は自害しました。これが本能寺の変です。

当時、明智光秀が本能寺の変を起こした動機として有名なのが「怨恨説」(信長のパワハラを恨んでいた説)や「野望説」(明智光秀も実は天下統一の野望があった)です。
けれどもここでは、あえてその他の説を紹介します。

①黒幕説

黒幕説とは、明智光秀はあくまで実行役で、黒幕は他にいたとする説です。
羽柴秀吉や徳川家康、足利義昭、朝廷が黒幕だったとする説があります。
ただし、本能寺の変後の明智光秀の行動から、黒幕などいなかったとする見解もあるようです。

②非道阻止説・前途悲観説

非道阻止説とは、信長の非道(延暦寺焼き打ちや一向一揆の鎮圧、朝廷の軽視など)を止めようと本能寺の変を起こした、とする説です。
ただし、延暦寺焼き打ちは明智光秀も行っていたことから、この説には無理があるという指摘もあります。

一方、前途悲観説とは、明智光秀が自分の将来を悲観し、信長にやられる前にやってしまおうと本能寺の変を起こした、とする説です。
実際、信長は実力のある者を取り立てる一方、功績があげられなくなった者は容赦なくクビにしました。常に成果を求められるプレッシャーに疲れてしまったのかもしれません。

③四国説

明智光秀は土佐の長宗我部元親に対し、領土の保全と引き換えに信長へ臣従するよう交渉をしていました。ところが、信長は約束を反故にし、四国を征服しようとします。それを光秀が止めようと本能寺の変を起こした、と考えるのが四国説です。 
ここ最近有力視されている説です。

おわりに

百家争鳴。真相は藪の中。

参考文献・参考サイト

本郷和人
『誤解だらけの明智光秀』(マガジンハウス、2020年)
本郷和人・井沢元彦
『日本史の定説を疑う』(宝島社、2020年)