お酒の失敗

はじめに

新年度が始まって20日ほどが過ぎました。この時期は歓迎会などお酒を伴う機会が多いかもしれません。
しかし、ここで気をつけたいのがお酒の失敗です。今回はお酒での失敗がテーマです。

お酒の失敗が生まれる理由

なぜお酒の失敗が発生するかというと、お酒に含まれるアルコールで脳が麻痺するからです。この状態がいわゆる「酔っている」状態です。
アルコールによって海馬(記憶を司るところ)が麻痺し、記憶が作られなくなります。その結果、「何をやったか覚えていない」ことになります。

また、大脳皮質の活動が低下すると、前頭葉(行動を抑制するところ)の活動が低下し、辺縁系(本能や感情を司るところ)が活発になります。その結果、「何かとんでもないことをしてしまった」ということになります。

ところで、昔の人も現在と同じようにお酒の失敗をしていました。3つ紹介します。

①鹿ヶ谷の陰謀

平安時代末期、平氏の勢力拡大に対し、後白河法皇や側近たちは不満を抱いていました。そこで彼らは平氏打倒計画を立て、その後酒宴を開きました。

その際、藤原成親が後白河法皇のそばにあった瓶子(お酒を入れる容器)を倒してしまいます。すると、後白河法皇は「これはどうしたか」と尋ねたため、成親は「平氏(瓶子とかけている)が倒れました」と答えました。また、誰かが瓶子を見て、「この平氏はいかがしようか」と言ったため、西光が「平氏の首はとってしまおう」と言って瓶子の口を壊しました。後白河法皇も笑い、場は盛り上がります。

けれども、計画そのものは平清盛にバレてしまい、失敗に終わりました。

②正中の変

鎌倉幕府末期、後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒そうと目指していました。
そこで、幕府の目を欺くために、無礼講(宴会のようなもの)を開き、その中で倒幕計画をたてました。

ところが、無礼講の参加者の中に、幕府の関係者がいたことで倒幕計画は発覚してしまいます。
結局、後醍醐天皇を除いて倒幕計画に関わった者は処罰されました。

③戊辰戦争

佐川官兵衛(のちに西南戦争で活躍する人物)は戊辰戦争の時、会津若松城に籠城していました。官兵衛は藩主の松平容保から早暁に奇襲をかけるよう命じられます。

ところが、官兵衛は出陣前夜、松平容保からいただいた酒でハイな気分になり、自室に戻っても酒を飲み続けてしまいます。
その結果、官兵衛は寝坊し、奇襲は失敗に終わりました。

おわりに

結論。大事なことの前のお酒は要注意。

参考文献・参考サイト

川島隆太 泰羅雅登
『記憶がなくなるまで飲んでもなぜ家にたどり着けるのか?』(新潮社、2010年)v
杉本圭三郎
『新版 平家物語(一) 全訳注』(講談社、2017年)
本郷和人
『ざんねんな日本史』(宝島社、2021年)