教科書に載らない「徳川家康」

はじめに

いよいよ大河ドラマ「どうする家康」が始まりますね。今年の主人公は徳川家康です。
徳川家康といえば、大河ドラマでは24回も登場しており、名だたる俳優たちによって演じられてきました。戦国・安土桃山時代のキーパーソンと言えるかもしれません。

徳川家康について

そんな徳川家康は苦労だらけの人生の末にチャンスを掴んだ人物です。
家康は三河国(現在の愛知県の一部)に生まれますが、領地は有力な戦国大名の今川氏、織田氏に挟まれていました。そのため、長らく今川氏と織田氏の人質として過ごしました(もっとも最近では、今川氏の人質だったとはいえ好待遇だったと言われています)。桶狭間の戦い後は今川氏から独立し、織田信長に仕えます。信長が本能寺の変で倒されると、今度は豊臣秀吉に仕えました。

けれども、家康にようやくチャンスが巡ります。秀吉の死後、関ヶ原の戦いで石田三成を破ると、1603年には朝廷から征夷大将軍に任命され江戸幕府を開きます。その後、1614~15年の大坂の陣で豊臣氏を滅ぼします。以後、250年近くにわたって徳川氏の時代が続きました。

今回は徳川家康の教科書に載らないエピソードを3つ紹介します。

徳川家康像

①家康の作り馬鹿

秀吉の時代、聚楽第(秀吉が作った建物)で能楽が催されました。この時、織田信雄(信長の三男)は龍田舞を見事に舞いました。一方、家康は船弁慶で義経を演じたものの、「義経らしいところはひとつもない」と皆が笑うほどみっともないものでした。

しかし、加藤清正、黒田長政、石田三成、島津義弘だけは冷静でした。彼らは家康がわざとみっともない行動をとっているのに気づき、家康の作り馬鹿に舌を巻いていました。


以前紹介した「仮痴不癲の計」を家康も行っていたのかもしれません。

②狸親父な家康

家康は関ヶ原の戦いの直前、福島正則に対し「小山まで来てくれないか。詳しくはここでは記せない」という手紙を出し、福島正則を呼び寄せました。家康は他の大名にもまめに手紙を送り、西軍につかないように牽制していました。


けれども、関ヶ原の戦い後は有力な大名の力を抑えようとします。


例えば伊達政宗に対しては「家臣に与えるため」として政宗に所領を与え、家臣に政宗を監視させようとしました。また、毛利輝元に対しては関ヶ原の戦い前に領土を保全する約束をしたにもかかわらず、「一度も直に誓文書をしたためていない」という理由で約束を破り、毛利氏の所領を減封しました。


「手のひらで転がす」とはまさにこのことを指すのかもしれません。

③察してもらう家康

徳川秀忠(家康の子)は嫡子の竹千代(のちの徳川家光)を廃し、次子の国松を後継ぎにしようと目論んでいました。
そのことを知った家康は、竹千代と国松に対し、一緒に家康の元に来るように言いました。竹千代・国松兄弟が家康の元を訪れると、家康は竹千代及び彼の従者に対しては上座に招き、餅をもてなすなど丁重に扱う一方で、国松や彼の従者に対しては下座につかせたままで、餅を放り投げるなどぞんざいに扱いました。この様子を聞いた秀忠は国松を後継ぎにするのを思いとどめました。
周りの者に察しさせる、空気を読ませるあたり、家康の影響力の大きさを感じます。

おわりに

こうしてみると、「狸親父」と呼ばれるのも納得する、老獪な一面が見えてきます。
松本潤さんが演じる家康はどんな徳川家康を見せてくれるのか楽しみです。

参考文献・参考サイト

岡谷繁実著 北小路健 中澤恵子訳
『名将言行録 現代語訳』(講談社学術文庫、2013年)
本郷和人
『東大教授が教える やばい日本史』(ダイヤモンド社、2018年)
吉本健二
『手紙から読み解く戦国武将意外な真実』(学習研究社、2006年)
『歴史人』8月号 『歴史人』2月号
(ABCアーク、2022年) (ABCアーク、2023年)
NHKアーカイブス
「NHK放送史 大河ドラマの"家康"」(https://www2.nhk.or.jp/)(参照:2023-01-08)