リベンジの日本史

はじめに

夏クールのドラマが終わろうとしています。今クールのドラマには「六本木クラス」や「復讐の未亡人」のように主人公が敵に復讐する作品が放送されていました。
「必殺仕事人」「半沢直樹」などシリーズ化されたものがあるように、復讐を題材としたドラマはミステリーや恋愛もの、医療ものと同じように人気があるのかもしれません。

中国でも「臥薪嘗胆」という言葉が生まれたように、こっぴどい目にあっても悔しい思いを忘れずリベンジを果たした人々がいました。

それは過去の日本でも同じです。日本史の中でも手酷い目にあったものの、復活しリベンジを果たしたものがいました。3人紹介します。

①足利尊氏

後醍醐天皇の倒幕運動に協力した足利尊氏でしたが、鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇と袂を分ち、鎌倉にいました。
そのため、後醍醐天皇は追討軍として新田義貞を鎌倉に向け派遣します。けれども尊氏は新田軍を退け、一時は京都に入ります。しかし、北畠親房(後醍醐天皇の援軍)の軍勢に敗れました。
そこで、尊氏は形勢を立て直すため、九州に向かいます。尊氏は九州の武士や光厳上皇(後醍醐天皇が討幕運動に失敗し隠岐に流されている間に天皇となった人物。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇に天皇の位を退けられました)を味方につけました。勢力を立て直した尊氏は湊川の戦いで楠木正成や新田義貞を破り、再び京都入りを果たしました。
その後、光明天皇(光厳上皇の弟)を擁立した尊氏は征夷大将軍に任命され、室町幕府を開きました。

②徳川家康

三方ヶ原の戦いで、徳川家康は武田信玄に大敗北を喫してしまいます。
命からがら逃げた家康は恐怖のあまり脱糞しており、悔しさを忘れないようにこの時の姿を描かせたと言われています(もっとも、近年では家康のしかみ像は三方ヶ原の戦いと無関係とする説が出ています)。
その後、長篠の戦いで家康は武田勝頼(武田信玄の後継者)軍を破りました。

③幕末の長州藩

尊王攘夷運動の中心的存在だった長州藩でしたが、幕府から弾圧されてしまいます。
そこで、一矢報いようと京都に攻め上ります。しかし、薩摩藩や幕府軍に敗れ、第一次長州征伐を招いてしまいました。同時期に長州藩はアメリカ・イギリス・フランス・オランダと戦い、下関を占領されていたこともあり、幕府軍と戦うことなく降伏しました。長州藩は幕府に恭順するようになります。
けれども、高杉晋作のクーデターにより、長州藩は再び倒幕を目指します。薩英戦争でイギリスと戦ったことがあり、幕府を見限り始めた薩摩藩と同盟を結び、幕府に対抗する姿勢を見せます。
最終的に、戊辰戦争で長州藩は旧幕府軍に勝利しました。

おわりに

こうしてみると、自分の失敗や敗北をバネにすることは大事なのだと実感しますね。

参考文献・参考サイト

『歴史人』11月号
(ABCアーク、2022年)