偉人の陰にあだ名あり vol.2

はじめに

以前投稿した「偉人の陰にあだ名あり vol.1」では、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の登場人物にまつわるあだ名を紹介してきました。
そこで今回は、「あだ名と実態」が異なる三人の人物を紹介します。

藤原道兼のあだ名

一人目が藤原道兼です。平安時代の貴族で、藤原道長の兄です。
道兼の死後、道長と藤原伊周(藤原道隆の子)の間で権力闘争が起きました。

そんな藤原道兼は「七日関白」というあだ名があります。しかし、道兼が関白だった期間は違います。道兼は関白就任後から11日後に病のため亡くなりました。
なので本当は「十一日関白」です。「じゅういち」では言葉の響きが良くなかったのかもしれません。

藤原道長のあだ名

二人目が藤原道長です。自分の娘を次々と天皇の后にし、政治を支配しました。
栄華を極めた道長が詠んだ歌が「望月の歌」です。

そんな藤原道長は「御堂関白」というあだ名があります。けれども、道長は関白にはなっていません。道長がなったのは摂政(幼少の天皇を補佐する役職)と内覧(関白に準じる役職)のみです。
なお、「御堂」とは道長が建立した法成寺のことを指してます(現存してません)。

豊臣秀吉のあだ名

三人目が豊臣秀吉です。織田信長の死後、「信長の後継者」として台頭します。関白就任後、九州の島津氏、関東の北条氏などを圧倒し、天下統一を実現しました。

豊臣秀吉といえば「猿」というあだ名が有名です。ところが、織田信長は秀吉を猿とは呼んでません。信長が秀吉の妻の北政所に宛てた手紙では、秀吉のことを「はげねずみ」と書いていました。

おわりに

巷でお馴染みのあだ名でも、実態は異なるようです。

参考文献・参考サイト

坂上康俊
『日本古代の歴史5 摂関政治と地方社会』(吉川弘文館、2015年)
吉本健二
『手紙から読み解く戦国武将 意外な真実』(学習研究社、2006年)