「開国」の裏側

はじめに

「太平の 眠りをさます 上喜撰 たった四杯で 夜も眠れず」
これはペリー来航の様子を題材とした狂歌(当時の情勢を皮肉った和歌)です。
従来の説では、ペリーの突然の来航に対し人々はパニックに陥り、幕府はペリーの圧力に屈して開国した、と考えられていました。
しかし、実際の幕府や民衆の姿は異なるようです。

浦賀。1853年ペリーは浦賀に来航しました。

幕府は無力ではなかった

実は、幕府はペリーがやってくるという情報を事前に掴んでいました。
そのため、当時の老中は一部の人間に情報を共有し、海防の強化を目指しました。
また、ペリーは交渉を担当した幕府の代表の林復斎を「堂々たる姿」と評価し、「親愛の情」を示しつつ交渉が行われた、と記しています。それでいて林はペリーの開国要求に臆することなく矛盾点を的確に指摘していました。
これを見ると、幕府は無力だったわけではないことがわかります。

外国人に興味津々な民衆たち

民衆は初めて見る外国人に対し友好的で、興味を持っていました。
例えば、ペリーの艦隊が江戸湾内海を測量していたとき、民衆は身振り手振りで歓迎の意を示し、艦隊の水兵に対して水や梨を提供した、という話が残っています。
また、江戸町奉行や老中は外国人の見物禁止に関する達書を出して対応しました。裏を言えばそれだけ外国人を一目見ようと集まっていたことがわかります。

おわりに

こうして見ると、幕府も民衆も「開国」という事態に手をこまねいただけではない姿が見えてきます。

参考文献・参考サイト

渡辺京二
『逝きし世の面影』(葦書房、1998年)
日本史の謎検証委員会
『最新研究でここまで分かった 日本史通説のウソ』(彩図社、2021年)
井上勝生
『開国と幕末改革 日本の歴史<18>』(講談社、2009年)
三谷博
『NHKさかのぼり日本史(5) 危機が生んだ挙国一致』(NHK出版、2011年)