チャンスを待つ 〜雌伏の日本史〜

はじめに

人生はうまくいく時もあれば、うまくいかない時もありますね。
「雌伏の時」「不遇の時」「試練の時」…。うまくいかない時を表す日本語は実に多様です。

じっとチャンスを待つこと、嵐が過ぎ去るのを待つことはうまくいかない時の一つの処世術だと思います。
実際に、日本史では不遇の時を耐え、チャンスを掴んだ人物がいました。3人紹介します。

源頼朝の雌伏の時

1人目が源頼朝です。源頼朝は平治の乱で平清盛に敗れ、伊豆に流されました。そのままそこで20年間近く過ごします。
そんな中、頼朝に好機がやってきます。1180年に以仁王が平氏打倒の令旨を出したのです。頼朝は北条氏など豪族に支えられながら、平氏打倒に向け立ち上がります。
最終的に源頼朝は平氏も源氏のライバルたちも滅ぼし、鎌倉幕府を開きました。

徳川家康の雌伏の時

2人目は徳川家康です。徳川家康は三河国(今の愛知県)の戦国大名のもとに誕生しました。しかし両隣には今川氏、織田氏がいたため、幼少期から人質として生活を送っていました。
桶狭間の戦いで今川義元が倒されると、家康は織田信長の配下となります。その後、信長が死ぬと今度は豊臣秀吉の下につきました。
そして秀吉の死後、ようやく家康にチャンスが巡ってきます。関ヶ原の戦いで石田三成を破り、朝廷から征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開きました。
その後、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼすことで「徳川氏の時代」を確立させました。

井伊直弼の雌伏の時

3人目が井伊直弼です。井伊直弼は彦根藩(今の滋賀県)井伊家の十四男として誕生しました。当初は後継候補ですらなかったため、埋木舎で長らく不遇の時を過ごしていました。
そんな直弼にチャンスが訪れます。兄達が相次いで亡くなったのです。その結果、井伊直弼は彦根藩主となりました。
その後、井伊直弼は大老に就任し、当時幕府が抱えていた二つの問題(条約勅許と将軍の後継問題)に対処しました。

おわりに

「待てば海路の日和あり」ということわざがあるように、うまくいかない時でもじっとチャンスを待つこと、チャンスが来たらすかさず掴むことの重要性を三人の偉人は教えてくれますね。